ある年の夏にケアマネジャーから紹介されたアキラさん(仮名)は,大正生まれの男性で,認知症と慢性閉塞性肺疾患があり,酸素も吸っていた。アキラさんは山師として,木を切ったりシイタケを作って売り歩くなど,手広く仕事をして一家を支えてきた。山を1日に何度も往復する強靭な体力のもち主だったが,80歳を過ぎて奥様を亡くしたあと,数カ月で歩けなくなってしまった。アキラさんは,長男の妻ユリさん(仮名)と2人暮らしである。
今年はめまぐるしい日々の中,新しい年を迎えようとしています。
母と私たち夫婦三人の同居生活が始まって,五か月が過ぎました。
3月11日の大地震のあと,言葉がなかった。
ただ,言葉を発しようとする自分がいた。
その時,3月15日の朝日新聞の「天声人語」で,エミリー・ディキンソンの詩を知った。
1.アセトアミノフェンとNSAIDsの役割
〈1〉エビデンス
WHO ladder の1 段階目では,アセトアミノフェンまたはNSAIDs(非ステロイド性消炎鎮痛薬)をオピオイドとの併用なしで使用することを推奨している。オピオイドとの併用は,2段階目と3段階目として可能である。以下では,アセトアミノフェンまたはNSAIDs をstep Ⅲオピオイドと併用することについてのみ検討した。
本稿では,既存の文献を概観し,緩和ケアにおける医療従事者のストレスとその対処を中心にまとめた。
呼吸に意識を向けるというのは,すべてのリラクセーションの基本となる。呼吸に意識を向けることで,いつでもどこでも身体や心を調えることができる。本稿では,ちょっとした合間に実践することのできる呼吸法をご紹介する。
心と身体は密接なつながりがあるので,精油を選ぶ時は「いいな」と心に響く香りがその時身体が必要としている精油,と考えて決めるのも一案である。また,有機化学の成分と働きから選ぶこともできる。興味のある方は,ぜひ参考文献を参照してほしい。また,妊娠中には避けた方が良い成分を含む精油などがあるので,事前に専門書で確認しておくことを勧める。
マインドフルネス瞑想は,仏教の基本的瞑想法が西洋で心理療法や医療に取り入れられる流れの中で注目されてきた心身の総合的な訓練体系である。ストレス緩和法からうつ病再発防止の認知療法,最近ではPTSD(post traumatic stress disorder)の治療における暴露法の補助としても幅広く用いられるようになってきている。
エンカウンターグループは,Rogers1)が発展させた,個人の成長やコミュニケーションおよび対人関係の発展と改善のためのグループ療法である。通常10名ほどのメンバーと1,2名のファシリテーター(促進者)とで構成され,2泊から3泊ほどの合宿形式で行われる。あらかじめ設定されたテーマはなく,1人ひとりが対等の人間としていま,ここで,自由に率直に語り合う。
看護という仕事をしていくうえで,自分の感情をコントロールしなくてはならない瞬間はたくさんあるようである。筆者が行ったインタビューなどで,看護職が自分の気持ちをコントロ
ールしなくてはならないと話してくれたのは,大別して次の2つの瞬間だった。
緩和ケアにおけるソーシャルワークを志し1986年東札幌病院へ入職,気がつけば確かに長く,緩和ケア病棟を中心に緩和ケアに携わってきた。しかしそれは「長く携わるためのコツ」とはかけ離れた,愚直な実践の積み重ねであったと感じる。一筋縄ではいかなかったことは事実である。今一度,苦しかったものを見据え,そこから今に続く中で何を経験し,何が助けになったのか。そしてここを実践場としているのはなぜなのか,を考えたい。そこから緩和ケアに携わる魅力が伝わるのではと考える。
筆者は,1998年より山口宇部医療センター(旧山陽病院)の緩和ケア病棟を中心に緩和ケアに携わってきた。当初は,知識不足から患者の病状経過が見通せず,翌日出勤すると患者が亡くなっていることにショックを受け,「自分に何ができたか」という不消化感が拭えぬ時もあった。また,心理職として「役に立てているだろうか」という不安から「心のケアは自分がしなければ」という気負いもあったように思う。そのような苦悩の時期を越え現在に至るまでに,筆者が工夫してきたことを振り返ってみたい。
筆者が緩和ケアに関わるようになったのは,聖路加国際病院で「がん疼痛マネジメント」のマニュアル作成に携わるようになった1997年からである。その頃,緩和ケア病棟はなく,緩和ケア検討員会が発足し「疼痛コントロール方法」を職員に広めていくという段階であった。筆者は,この時にマニュアルの中で「麻薬の法的取り扱い」に関して執筆したことをきっかけとして「緩和ケア」人生がスタートした。
望んだわけでもなく半ば「え~!」という気持ちで緩和ケア病棟に勤務することになったのは1990年5月のことである。半官半民の総合病院で外科系病棟に勤務しながら,自分が実に手際良く業務をこなしていることに心地良さと少々の罪悪感を抱いていた。そんな時,忙しい看護師に期待せず無理にでも自力で移動しようとするある患者の背中にハッとした。組織に埋没して効率重視の“こなす業務”は看護ではないと思った。
緩和ケアの医療現場では,患者の回復が見込めない中で取り組まれていることが多い。そして,がんの進行とともに医療者の“努力と報われ感のバランス”“仕事重荷とその自己コントロール感のバランス”が崩れ,私は本当に「人の役に立って」いるのだろうか,「人から必要とされて」いるのだろうかと疑問がつきまとうこととなる。
また,これらに加えて,どうすることもできない現実の前で,人間関係における社会的心理的緊張は大きく,スタッフ間の対立,コミュニケーションの不足,役割の葛藤,迫りくる患者の死への対処もストレス源となりうる。では,これらストレス源に対してどのように対処したらよいのであろうか?
患者や家族の笑顔や感謝に癒される時もあれば,対応困難な場面で「こんなはずじゃなかった」「これが緩和なの」といった苦言や叫びを浴び,無力感や不全感に打ちのめされることもある。いのちと向き合う現場で患者や家族の「身体やこころのつらさ」に触れる仕事には,体力的なエネルギーはもちろんのこと,こころのスタミナも求められるものだ。
本稿では,こうした「緩和ケア領域に携わるスタッフが向き合う“つらさ”(チャレンジ)」について取り上げてみたい。
特集のはじめにあたって,本稿では,緩和ケアに従事する人にはどうして“つらさ”というものがあると思われるのか,それは本当に“つらさ”なのか,個人により違いがあるのはどうしてなのかなどについて,個人的な経験を踏まえて考えてみたい。
つらさとは主観にほかならない
消極的に表現すれば,緩和ケアは「つらさを和らげる働き」といえるでしょうか。
改めていうまでもなく,つらさとは主観です。客観的に測定することは,本来できません。同じ太さの針を同じ強さで身体の同じ場所に突き刺したとしても,感じるつらさは,人によって異なります。極端な話,無痛症の人はなんのつらさも感じないでしょう。逆にアロディニアがある人は,羽毛で撫でられただけでもつらさを感じます。
先行研究では,特養の看取りケアの実態調査やケア成立条件の検討,ケアワーカーや看護師の死生観を明らかにした研究が散見される。また,看取りケアにおけるMSW の役割を検討した研究がいくつかある。看取りケアでは,病院と特養との連携が重視されているが,特養の生活相談員の役割を明らかにした研究がみられず,より良い連携をしていくために,その研究が求められている。
そこで本研究では,看取りケアにおける生活相談員とMSWの姿勢と役割の共通点と相違点を明らかにし,医療と福祉の重要な支援課題である連携の発展に貢献したい。
上部小腸から吸収(250mg/日)。それをビタミンDが促進する。血液中のカルシウム(以下,Ca)は900mg 程度であるが,骨には1,000g(20~25g/kg体重)貯蔵されている。排泄は,尿に150mg/日,便に450mg/日。副甲状腺ホルモンは,骨吸収を促進,腎でのCa再吸収を促進して血中Ca を増加させ,リンの排泄を促進し血中リンを低下させる。
Caはアルブミン結合から分解し,free Ca2+イオンとなって機能する。よって,低アルブミン血症の際には補正値で判断する。【測定Ca 値+(4―アルブミン)】