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困ってませんか? 患者さんの心の動き 否認・怒り・退行への対応
否認の強い患者に関わる医療チームに生じる問題とその対応

困ってませんか? 患者さんの心の動き 否認・怒り・退行への対応
否認の強い患者に関わる医療チームに生じる問題とその対応

 防衛機制としての否認は,人の心が危機的状態にあることを示すものであり,周囲の人々との関係性の中でさまざまな現れ方をする。否認に基づく患者の認知や行動上の問題により,治療が立ちゆかなくなることや,医療者の陰性感情を惹起させ,チームの協働の困難さ,チーム全体の士気低下につがることも稀ではない。

 本稿では,リエゾン精神看護専門看護師(以下,リエゾンナース)の立場から,否認が強い患者に関わる医療チームに生じやすい問題と対応について,事例を示しながら述べる。

困ってませんか? 患者さんの心の動き 否認・怒り・退行への対応
終末期特有のさまざまな苦痛に伴う防衛機制とその対応

 奈良県立医科大学附属病院(以下,当院)の緩和ケアチーム(以下,PCT)のスタッフは,身体症状担当の緩和ケア医,精神症状担当の精神科医,がん看護専門看護師,臨床心理士,薬剤師で構成されている。PCT は,おもに主治医・看護師からのコンサルテーション依頼を通じ,介入を開始している。

 本稿では,終末期において否認・退行などさまざまな防衛機制が働き,PCT で介入した症例を報告する。

困ってませんか? 患者さんの心の動き 否認・怒り・退行への対応
がんの再発・進行期における否認に対する理解と対応─胃がん患者のケースより─

手術や第一次化学療法などの初回治療後の再発は,患者にとってがん告知の衝撃よりも受け入れがたいと語る人が多い。患者は再発と聞くと,多くは死を想起し,不安になる。死に対する恐怖感から引き起こされる感情はとても強いものであるため,そのような時期の患者を支える医療者は,患者から向けられるさまざまな言動をどのように受け止めたらよいのか戸惑うことがある。
 
 本稿では,筆者(臨床心理士〈以下,心理士〉)が関わった胃がん患者の経過の一部を紹介し,再発やがんの進行などを告知された際の患者の心の揺れとその反応,またその対応について考えていきたい。

いのちの歌
忙しかった誕生日

 早朝、電話のベルが嬉しそうに鳴った。今日は、私の誕生日、何か良いことあるかしら? 胸のときめきは一瞬にして消えた。

CURRENT ISSUE
Whole Person Care ってなんだ!?― Hutchinson 先生によるWhole Person Care 特別講演会

 2013年11月30日に, 大阪で開催された「Hutchinson 先生によるWhole Person Care 特別講演会」に参加したので報告する。「Whole
Person Care」(以下,WPC)とは,カナダのマギル大学を中心としたワーキンググループにおいて提唱されている,いわゆる医学的アプローチとは異なるパラダイムにおいて成立する,“ケア”も含めた,臨床における援助の,実践的なアプローチのことである。

画像で理解する患者さんのつらさ
便がガマンできないなんて,情けない話ですね

緩和ケア医:あっという間に入院になってしまいましたね。いかがですか?
患者:本人が一番びっくりしています。2 年前に下痢を繰り返すようになって,ちょうど仕事のストレスが重なったので,過敏性腸症候群と自己判断し,整腸剤を飲んでいました。直腸がんなのに便秘は全然ありません。どうしてでしょう?

死と正面からむきあう─その歴史的歩みとエビデンス
死の苦しみと希望はどこに―ホスピス・緩和ケアに携わる人のために―

 私たちは死の苦しみや悲しみをどのように受け止め,どこに希望を見出したらよいのだろうか。本稿の目的は,この問題について見通しを得ることにある。ただしその主眼は,死に立ち会う「つらさ」のマネジメントに関する知見を提供することにはない。むしろ死にゆくこととこれに立ち会うことについて省察し,そこから死の苦しみと希望のありかを見定めていく。それによって読者の方々が死とむきあう勇気を少しでも得られるならば,本稿の目的は果たされたことになる。

死と正面からむきあう─その歴史的歩みとエビデンス
終末期ケアと〈お迎え〉体験

 日本における在宅ホスピス利用者の遺族を対象とした調査では,42〜46 %の患者にこうした体験があったという結果が出ている。また,欧米ではこの体験は,臨終期視像(deathbed vision)や近死意識(nearing death awareness),ヴィジョニング(visioning)などの名称で知られており,イギリスの緩和ケア・スタッフを対象としたFenwick らによる調査によれば,62 %がこうした体験をもった患者の事例を経験しているという。

 こうした〈お迎え〉体験について,これをもって魂やあの世の存在を確かめるものとする解釈があり,特に欧米の超心理学ではこの種の関心の下に,議論がなされてきた。しかしながら,終末期ケアの文脈では,さしあたりそうした次元の議論とは一線を画し,この体験を現在生きている患者の体験として捉え解釈する必要があるだろう。

 終末期ケアにおいて,こうした患者の体験がもつ意義に注目した議論としては,Callanan らや森田ら,清藤らなどがあり,本稿の議論もこれらの先行研究の延長線上にある。以下,海外における各種の調査研究やケアの手引きも参照しながら,終末期ケアにおける〈お迎え〉体験の意義や位置づけについて確かめておきたい。

死と正面からむきあう─その歴史的歩みとエビデンス
親をがんで亡くす子どもたちの支援―子どもたちと一緒に親の死とむきあう―

 親をがんで亡くす子どもへの支援では,子どもがいつも誰かに見守られている安心感をもつことができ,自分が「含まれている」と思えることが必要である。

 聖隷三方原病院(以下,当院)では,2010 年から,がんの親をもつ子どもサポートチーム(以下,サポートチーム)が活動している。本稿では,当院における取り組みを紹介し,親をがんで亡くす子どもたちの支援について考えてみたい。

死と正面からむきあう─その歴史的歩みとエビデンス
看取りの時期の看護ケア

 先日,内科系のある病棟からエンゼルケアについての勉強会を依頼された。その病棟師長も,「エンゼルケアの何が知りたいのかしら…」と首をかしげるので,依頼者である勉強会係に「エンゼルケア」の何に課題をもっているのかを確認すると,明快な回答はなく,懸命に語ってくれた内容を大雑把に要約すると,臨死期に必要だと思っているケアの全般が苦手である,ということだった。「死が近づいた患者との会話に自信がもてない」「どうしようもない無力を感じる」「家族への対応が難しい」といったところが困難感と苦手意識の中心のようであった。このような傾向は,緩和ケアチームとして臨床の支援を行っていると,少なからず出会うものである。

 本稿では,同僚応援という立ち位置で,死と正面からむきあうことについて現時点で得られている知見も活用しながら,私見を述べてみる。

◆ この文献の続きは、下記書籍からお読みいただけます。

Vol.24 No.2

緩和ケア 2014年3月号

¥1,500(税別)
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死と正面からむきあう─その歴史的歩みとエビデンス
死と正面からむきあう―その意義と歴史的背景―

 終末期ケアのあり方は,20 世紀後半に大きな変貌を遂げた。19 世紀半ばのアイルランドに蒔かれたホスピス運動の種子は,まず英国のC. ソンダースによって育てられた。次いでカナダでは,同じ種子が「緩和ケアpalliative care」として成長し,ホスピス・緩和ケアは今や,世界中で豊かな実りをみせている。ホスピス・緩和ケアは,終末期ケアの改善に貢献しただけでなく,標準的なケアプログラムに波及的な効果を与え,ヘルスケアの質的な向上に広く影響を及ぼしてきた。

 しかし,緩和ケアの確立と普及とともに,ホスピス運動を主導してきた問題意識は,希薄になりつつあるようにみえる。それは「死と正面からむきあう」という態度である。ホスピス・緩和ケアをさらに発展させていくため,私たちはその出発点を確認しつつ,前進していかなければならない。

 この展望のもと,本稿では,最新の知見と歴史的な遺産にともに学びながら,死とむきあうことの意義を見定めていく。

らしんばん
終わらない看護の“Act locally”

 日常業務の中で大切なことを見失ってしまう瞬間は,忙しい時ほどありがちで誰しも経験があることではないだろうか。私も時々,看護師として反省することがある。特に,経験が浅い時期は,自宅にいる末期がん患者の疼痛コントロールや,介護サービス体制の調整などに追われてしまっていた。そのため,ふと気づいた時に「患者さんが伝えたかったことはこれで良かったのか」「患者さんは,何か別に懸念していたことがあったのではないか」と,それぞれの場面を振り返ることも多かった。看護師という立ち位置だからこそ,さまざまな苦痛に気を配りたいと思っているにもかかわらず,患者・家族とのコミュニケーションに十分集中できていなかったことを反省するのである。

 大きな考えをもって目の前の活動に取り組むことを表現する際に“Think globally, Act locally”という言葉がある。しかし,頭には大切なことや理想があっても,うまく眼前の活動に落とし込んで実践できないことも多い。だからこそ,そのギャップを埋める取り組みに価値がある。

特別収録
エキスパートに聞くスピリチュアルケアの醍醐味〔後編〕「自分がどう思われるか」にとらわれない,患者中心のケア

 また,たとえばある患者さんがいきなり自分に対して怒り出したとします。その時に,「私,何か悪いことをしたかな?」と自分に原因があるのではと考える前に,まずなぜ怒っているのか,自分の知らない理由を「どうしましたか?」と聞くなどして,客観的に患者さんに起きている現実を理解しようとすることが大切です。

 また,“自分はほんの少ししかこの人のことを知らない”,と意識していることは,思い込みや早まった判断,浅薄な結論で簡単に満足することなく,その奥にある背景をより深く知ろうとする感性を強めます。気持ちを若く保つ,ということでしょうか。

 また,患者さんの怒りにも動じず,「本当によく話してくれました。私はあなたの話を聞くためにここにいるのですから」と言って聞いていると,だんだんと落ち着いてこられ,訪問の最後の頃には,「実はね…」と本心を話し出してくださった方もおられました。

 怒りについては,自分の心地良さや尊厳を失う恐怖,その脅威から身を守るための衝動だと理解していますので,怒る自分にも怒る人にもまず,何を恐れているのか,何が傷や脅威になっているのか,何を守ろうとしているのか,という問いかけをもって理解しようとしています。

海外事情
ホスピスでのティータイム─ボランティアの視点から

 ホスピスを運営する民間団体Capital Caring の施設の1 つ,Halquist Memorial Inpatient Center(アーリントン,バージニア州)というホスピスで,2011年6月から2013年9月まで約2年間,週1回ボランティアをした。最も記憶に残る,「お茶の時間」について報告したい。

コミュニケーション広場
今とこれからを生きる君たちへー高校生と考えたがんといのちのこと

 個人的にご縁をいただき,中学校・音楽大学での特別授業,一般大学での正規の講義を通して,いのちが生まれ,輝き,そして人が死にゆくことについて,さまざまな年代の生徒・学生さんたちとともに考える貴重な場を,この10 年ほど重ねて参りました。そして,がん診療に携わる医師が子どもたちの前に立つ意味を肌身で感じ,自分に与えられた大切な役割だと認識しておりましたので,できる範囲でお手伝いさせていただくことを約束しました。

 こうして県のがん教育は,鮮やかな紅葉に彩られた埼玉県立熊谷女子高校で,11 月22 日に,その第一歩を踏み出すこととなりました。

わたしのちょっといい話
一期一会

 まだ、学生だった頃。60歳代男性の肺がん患者さんと実習先で出会いました。その方は、私が薬学生だと分かると,「この薬を飲む前は痛みが強くて,家族に八つ当たりばかりしていたよ。今はまったく痛みがなくて,家族とも笑顔で会話できる。薬ってすごいね。こういう薬を皆が使えるように頑張ってね」とお話してくれました。その薬が“モルヒネ錠(10 mg)”でした。学校では,モルヒネといえば,依存や副作用の話ばかりを学んでいた時代でした。初めて薬の素晴らしさを肌で実感した瞬間でした。

 その後,緩和医療でご活躍されていた医師との出会いがありました。また,新潟の緩和ケア病棟での1週間の研修の機会や,多くの患者さんとお話する機会に恵まれ,貴重な経験をたくさんさせていただきました。