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PAMORAの基礎とエビデンス

PAMORAの基礎とエビデンス

百 賢二
東京大学医科学研究所附属病院薬剤部


がん患者の疼痛緩和を目的として投与されるオピオイド(モルヒネ,オキシコドン,フェンタニル)製剤の有害事象の1つである便秘は,40~80%程度の患者に認められ,患者のQuality of Lifeを低下させる。症状が重篤な場合には,摘便,腸洗浄など,苦痛を伴う処置が必要となることも少なくない。日本で実施された報告によると,便秘に対する予防投与を積極的に実施することで,便秘の発症率が有意に低下することが報告されているものの,完全に予防するまでには至っていない。

ケアを提供するあなたが元気でいてほしい

岡山幸子
宝塚市立病院 緩和ケア病棟


私は,緩和ケア病棟に勤務しており,「緩和ケア病棟で働きたい」という多くの看護師に出会ってきた。緩和ケア病棟では,患者の価値観に合わせたケアの提供が必要とされ,私たち医療者の包容力が求められる。加えて,現場では,医師の指示のもと看護師に任される範疇が大きかったり,看護師自身が自分で考え,即決して薬剤の選択,優先しないといけないケアを考える場面が多数ある。

自分自身の生き方を大切に

中山康子
なの花訪問看護ステーション 仙台


「この患者さんにどうしてあげたらよいのだろうか」「この患者さんと家族の対応はこれでよいのだろうか」─緩和ケア領域で働く際,ふと立ち止まることがある。

緩和ケアにおける私たちの役割は,患者・家族のQOLの改善である。緩和ケアにおけるQOLは生活の質の改善,ひいては患者・家族の人生の質も視野に入れるが,私は患者・家族の人生の質は当人たちが自ら取り組んでいくものと考えている。ただし,生活の質は症状緩和をはじめ日常生活の支援など,多くの場合,専門職のアプローチが必要である。

ちょっと“箱”にしまいましょう!

梅田 恵
昭和大学 保健医療学部


複雑な苦痛のなかにある対象へのケアを考える(悩む)ことを,いつの間にか仕事とするようになっていた。そしてさらに,複雑な苦痛のなかにある対象へのケアに悩む看護師への教育も仕事とりつつある。がん看護・緩和ケアにおける看護の『実践・教育・研究』を統合した仕事ができないかと画策し,定期的に臨床にも身を置き,教育も行う新しい活動のかたちに,今,挑戦している。複雑な道や新しい道を切り開くことはワクワクして楽しい反面,「どうなってしまうかな?」と悩み,苦しいことも少なくない。進むべき方向が見えなかったり,自分の力の不足に直面したり,迷い悩み消耗し,思考が停止し,逃げ出したくなったりすることはしばしばである。

その時の魔法の言葉は,「ちょっと“箱”にしまいましょう!」である。

落ち込むのは落ち込める能力じゃ

広瀬寛子
戸田中央総合病院 カウンセリング室


自分から後輩へ。

私たちはポジティブな人間を理想とするところがある。ネガティブな考え方や弱い気持ちをもつのはよくないから,ポジティブに考えなさいと。
その結果として弱い自分を責めたり,否定したりする。でも,発想を転換させて,どんな行為もその人の能力だと考えてみる。たとえば,落ち込むのは悪いことではなく,落ち込むことができる能力なのだと。落ち込むことは悪いことばかりではない。その人にとって,今,落ち込むという必要なことをしているわけで,それは能力なのだと捉えてみる。

あせらず,あわてず,あきらめず

高山良子
神戸市立看護大学看護学部


同僚や後輩,自分自身など,「これから頑張ろうと力が入っている時」「頑張ってやっていてもうまくいかない時や空回りしている時」「やれるかどうか戸惑っている時」。または,これから巣立っていく大学院生や緩和ケアを学んでいる看護師などに対して,今の気持ちを大切にして1つひとつていねいに積み上げていけば,“大丈夫”だからねという,力を抜いて安心して頑張ってほしい時にかけている言葉である。

誰かの支えになろうとする人こそ, 一番支えを必要としています

小澤竹俊
めぐみ在宅クリニック


(私から)苦しむ人に関わろうとするすべての人へ。

苦しむ誰かの力になりたいと思えば思うほど,力になれない場面では苦しくなる。まだ生きていたいと強く希望しながら病状が進み,怒りをぶつけてくる患者・家族のケアに当たる時,あるいは,絶望のあまり生きる希望を失い,早く死んでしまいたいと繰り返し嘆願する人のケアに当たる時などで,しばしば私たちが味わう無力感である。

己を知れ

田代真理
JCHO東京新宿メディカルセンター


私たちはよく,自分と向き合い自分自身のことを理解しよう,相手の立場に立って物事を考えよう,相互理解が大切だなどと言うが,それはそんなに簡単なことではない。だからこそ,人と人との関わりから成り立っているケアの現場では,「あの時,ちゃんと言ったのに……」「そんなこと,聞いてない」「いったい何を考えているの?」など,相手とすれ違いが起こることも多い。そして,つい自分に余裕がなくなり,周りを責めてしまいたくなったりする。そのような時,私は「己を知れ」と自分で自分に言ってみるようにしている。

イラッとしてもいいけど,イライラ はしない

田中桂子
がん・感染症センター都立駒込病院 緩和ケア科


たとえば,こんなことはないだろうか?
①会議に遅れる! と急いでいたのに,おっと,目の前でエレベータが閉まった! イラッ!

②大事なカンファレンス中に仲間が貧乏ゆすりしている! イラッ!

③頼んだ仕事ができていないのにあの人ったらのんきにおしゃべりしてる! イラッ!

④今説明したばっかりなのに,あの家族が,また同じことを質問してくる! イラッ!

⑤せっかく念入りに準備したのに,急に外泊しないと言い出した! イラッ! …。

何をみているの?

蓮尾 英明
関西医科大学心療内科学講座


緩和ケア領域のEBMは少ない。つまり医療者にかかる表面的な責任は少ない。「(効かない)クスリ」が悪い,「(苦痛の閾値が低い)患者・家族」が悪い……。医療者は,自分のための医療をしがちである。
しかし,緩和ケア領域のEBMが少ない分,医療者が果たすべき役割は大きい。個別性が大きい場合,患者の語りを医療者がどう受け止めるかが大切となる。

それは誰のため,何のため

高田芳枝
栃木県立がんセンター 看護部


日常の看護行為のなかで,時々これでいいのかなぁとか,なんとなく腑に落ちないという経験をしたことは誰もがあると思う。しかし日常業務の多忙さのなかで,そのモヤモヤした気分に納得のいく回答が得られないままに流れていき,時には後悔をした経験をもっている人も少なくはないだろう。そのような時にはなかなか難しいことでもあるが,そのまま看護行為を進めるのではなく,一度立ち止まって状況を整理するとよい場合がある。そうしてよく考えてみると,目的や対象の“ぶれ”や“ずれ”や,目的や対象をチーム間で共有できていないということがある。

主語は誰?

渡邊紘章
小牧市民病院緩和ケア科


「緩和ケア」の世界で働いていると,正解のない(気持ちがモヤモヤする)さまざまな問題について頭を悩ませることが多い。患者や家族が,食事摂取時に誤嚥して呼吸状態が悪化することが分かっていても「苦しくなっても,好きなようにさせてください」と訴えられるような時,せん妄による過活動なのか,もともとの生活パターンなのか判断できない患者について,スタッフから「全然眠ってくれなくて,夜間少しも目が離せません。もっと眠れるようにしてください」と求められた時など,毎日のようにちょっとモヤモヤした気持ちを抱えながら,専門的緩和ケアスタッフとして働いている。

誰の価値判断なのだろうか?

河原正典
爽秋会 岡部医院仙台


緩和医療に携わっていると,いろいろな決断を下さなければならない時が多くある。Aという道,Bという道がある時,どちらを選んでもなんとなくしっくりこない。それどころか,どちらも選びたくないなと思っている時に,自分に問いかけている言葉である。

分からないなら患者に聴くのはどう?

向井美千代
北播磨総合医療センター緩和ケア病棟


緩和ケアに関わっていると,患者が意思決定できない状態で症状緩和の方向性を決めなければいけない時がある。そのうえ,独居や家族が疎遠であるケースなどになると,患者ならどう考えるかと推測して方向性を見出していく。しかしながら,そのプロセスのなかで,何が一番良い方法なのか悩みや答えを導き出せずにいる。

主語はいつも患者さん

東光久
福島県立医科大学 白河総合診療アカデミー


私たち医療者は,患者の治療方針を考える時にさまざまな観点から話し合う。簡単なケース(治療が簡単なのではなく,方針を決めるのが簡単という意味)は医療者間で悩むことは少ない。ただそれでも,患者の希望が医療者の方針と異なる時,患者の希望が家族の希望と異なる時,など必ずしも一筋縄ではいかないこともある。

病気は患者のもの

新城拓也
しんじょう医院


ホスピスでの10年の勤務を終えて開業し,在宅医療に専念し5年が経った。また,市内の総合病院で週1日働いている。ありがたいことに,私の日常の活動を見学したいと個人的な依頼を受け,いろいろな方と1日一緒に時間を過ごすことがある。往診の道中,車の中でいろいろな話をするのだが,病院勤務の方には必ずこの話をする。

あなたは患者に何を言わせたい のか?

小森 康永
愛知県がんセンター中央病院精神腫瘍科部


これは,援助職にあるすべての人のための言葉である。シシリー・ソンダースの「患者に言うこと」と題された論考の冒頭にある。

いかなる患者も,治療に協力して,見知らぬ恐怖の重荷から解放されたいなら,病いについて理解可能で説得力のある説明が必要である。

良い事があってこその笑顔じゃなくて 笑顔でいりゃ良い事あると 思えたらそれが良い事の序章です

山口 健也
小竹町立病院 内科


自分から自分への言葉で,私がいつも心に留め,大事にしている一節である。

Mr.Childrenは,日本で最も有名なロックバンドといっても過言ではないだろう。印象的で記憶に残るメロディと感情に響く歌詞は,世代を超えて多くの人々の心をつかんでいる。私も長年心をつかまれ続けている1人である。ここ最近は彼らのライブに行けておらず,とても残念に思っている。

 

ユーモア

石口 房子
広島YMCA訪問看護ステーションピース


筆者は在宅ホスピスに関わる訪問看護師である。訪問すると“失敗は許されない”という緊張感で張り詰めている。特に終末期の方には,苦痛がないように,聞き洩らすことがないようにと強張っている自分の顔が想像されるほどだ。そんな自分に対して,“ユーモア”という言葉を向けると,心に余裕が生まれ,患者や家族の言葉も幅をもって聴き取れるように感じるのである。

あなたの笑顔は素敵です

岡山 幸子
宝塚市立病院 緩和ケア病棟


緩和ケアに携わる医療者として「笑顔」は大切にしたい。常日頃から笑顔でいられるように心がけている。
笑顔には,本人も幸せな気分で過ごせるし,周りも幸せにできる不思議な力があると思う。微笑む,にっこり笑うなど,さまざまであるが,どのような笑顔でも穏やかな雰囲気がその人に流れる。