東日本大震災の後,遺族支援を専門としていた研究者・支援者仲間と共に,JDGS プロジェクト(JDGSのウェブサイト〔http://jdgs.jp/〕)という震災支援のプロジェクトを立ち上げました。そして,2012年の7月から12月まで,勤務している大学の許可を得て,半年間,被災地に常駐する機会をいただきました。
終末期において,患者と家族が残された時間をどのように過ごすかについて考えるためには,患者への予後告知が必要になる。しかし,筆者の勤務する病院では,年齢にかかわらず,治療が困難で予後不良であるとか,余命が限られることを知らされている患者は多くはないのが実情である。患者が子どもの場合には,終末期である場合もほとんど知らされていない。
これはどうしてなのだろうか。当院の多くの医師は,病状説明の際に本人にどこまで話すかを,まず家族に確認する。ここで家族は,本人に厳しい話をするのをためらう。この時,よく耳にするのは,本人に治らないことや,あとどのぐらい生きられるかを伝えれば,本人が生きる意欲をなくす,希望を失う,うつになるから言わない方がいいのではということだ。
では,患者が,予後不良であることや余命を知らされずに,今後の生き方を決めることは可能なのだろうか。本人に伝えることを望まない家族は,本人の代わりに決めようとする。結果として医師は,本人ではなく家族の意思を尊重することになる。
このような家族第一主義ともいえるがん患者の終末期における事情は,日本固有のものなのだろうか。別のあり方は可能なのだろうか。このことを考えるために,筆者は,ハワイで緩和ケア事情を小児に焦点を当てて学ぶことにした。
6 月は,紫陽花を模したゼリーを提供しています。ボランティアさんが作った紫陽花の飾りのついたコースターにお茶を乗せて,ゼリーと一緒にサイドテーブルに乗せると,殺風景だった机の上が一遍に華やぎます。
たくさん食べられない方も目で楽しんでいただけるよう,寒天を崩さないように盛りつけるのがポイントです!
私にとって,糖尿病で私の勤務する診療所に通う農家のヨシヒデさんの奥さん,という認識でしかなかったセツコさんが,ある出来事をきっかけに大きな存在に変わりました。それは,ヨシヒデさんの糖尿病が急激に悪化して精密検査を行ったところ,胃がん,多発肝転移の末期であることが分かり,訪問診療を開始した時のことでした。
ご自宅への訪問診療から,最終的に診療所に入院して,亡くなるまでの数カ月間,お嫁さんのマサミさんと一緒に,寡黙で弱気なことを言わないヨシヒデさんの看護に,献身的に当たられていたことが印象的でした。ヨシヒデさんの診察の時は,いつもセツコさんとも雑談になります。
今年は桜の開花が早く,入学式前に散り,淋しかったようです。
そして,「あっ」という間に「こどもの日」を迎えました。
緩和ケア科医師:先ほど病棟から依頼があった患者さんについて,説明してください。
緩和ケア科研修医:A さん,60 歳代,男性です。全身掻そう痒よう感で,昨日急患受診され,緊急入院になりました。
緩和ケアチーム薬剤師:えっ,かゆみがひどくて,入院ですか?
緩和ケア科研修医:いいえ,入院目的としては,閉塞性黄疸の治療目的です。4年前に胃がんのため,幽門側胃切摘術を当院で受けています。
緩和ケアチーム薬剤師:それで,消化器病センター外科病床に入院なんですね。胃がんの再発ですか?
緩和ケア科研修医:本人はがんとは関係ないと考えていて,「黄疸でもなんでもいいから,このかゆいのをなんとかしてくれ,もう何日もまともに眠れてないんだよ。酒飲むと一層かゆくなるし…」と言って大騒ぎだそうです。それで,緩和ケアチームに要請がきたってことですね。
本特別収録の第1 回では,志真泰夫氏が,柏木哲夫氏にお話を伺い,ホスピス・緩和ケアを担ってきた医師(以下,緩和ケア医)と,がん治療を担ってきた医師(以下,がん治療医)が互いを理解する必要があり,共通の基盤に立ってどういう協力ができるのかを考える時代に入ってきたこと,またお互いの限界と長所を認めて協力関係を築いていくという方向性が,明らかになった。
第2 回は,佐々木常雄氏にお話を伺った。がん医療と緩和ケアの思想的な接点を探り,協働に向けて考える機会としたい。
国立がんセンター東病院において死亡したがん患者の配偶者を対象に,精神健康調査票(GHQ28),終末期ケアへの不満などの項目を含む調査票を用いた郵送調査を2009年に実施した。死別後7カ月から7 年までの821名の配偶者から回答を得た。
スピリチュアルケア(精神的苦悩に対するケア)は,患者の生活の質(quality of life;QOL)や尊厳の維持に重要な要素である。スピリチュアルケアに対するエビデンスの裏づけのある心理療法として,meaning ― centered psychotherapy(以下,MCP)とdignity therapy(以下,DT)を紹介する。
本稿では,最新のパーソナリティとがん発症/生存に関する前向きコホート研究を紹介する。がん既往のないスウェーデン・フィンランドの男女59,548 人を対象に,パーソナリティ質問票による調査を実施し,最大30 年間の追跡中に4,631 例の新規がん発症を確認した。その結果,外向性傾向・神経症傾向は全がん発症リスクと関連しなかった。
メッセージ from サイコオンコロジスト
◇ 薬物相互作用については多くの視点から検討されることにより,患者の不利益となることを防ぐことができる。向精神薬はサイコオンコロジストだけでなく担当医が処方する機会も多く,本稿にあるような知識を共有したうえで,担当医,サイコオンコロジスト,薬剤師の視点からチェックされることが望ましい。
今回の診療報酬改定で,緩和ケア病棟にとって最も重要な点は,緩和ケア病棟入院料の変更である。これまでは,一律1日3,780点であった入院料が,在院日数30 日以内で4,791点,31日~60日で4,291 点,61 日以上で3,291 点と在院期間に合わせて段階的に引き下げられる体系となった。
入院料の改定は,入院初期の緩和ケアに対する評価の充実を行うことで,在宅への円滑な移行を促進することを目的としている。そして,在宅で過ごすことができる患者を迅速に在宅へ移行することで,必要な患者がより円滑に入院できることを目指している。
2012年3月に,「医療計画」の見直しに関する通知が厚生労働省医政局から示された。2012年6月には,第2期「がん対策推進基本計画」が厚生労働省健康局から示された。この2つの政策文書は,別々に公表されているが,臨床の現場ではこの2つの計画は強く関連しており,影響し合う関係にある。特に「医療計画」では,これまでの医療計画では取り上げられなかった,在宅医療の提供体制を整備することが初めて求められており,地域における緩和ケアのあり方に大きな関わりもつと思われる。
ここに,精神腫瘍学の基本教育に関する指導者研修会(いわゆるPEACE 指導者研修会)の参加動機の一覧があります。「緩和ケアチームの精神症状担当医として勤務することになったので…」。これは毎回少なからずの参加者が記載してくださる理由の1 つです。
「これから緩和ケアチームの一員として仕事をしよう」「病院の方針で精神腫瘍科を立ち上げることになった」「地域の病院の緩和ケアチームから,週に1度でもということで,がん患者さんの精神症状の対応をしなければならなくなった」という理由で,本研修会に参加される精神科医は少なくない現状です。そんな参加者が地元に戻って数カ月してから,メールをいただくことがあります。「精神疾患の対応の依頼があまりない…介入が必要なケースが少ない」「終末期の患者さんばかりで介入することがない」などの相談内容です。
近年まで,緩和ケアは病院を中心に展開されてきたが,最近,厚生労働省が在宅緩和ケアを充実させる方向性を明確にしてきたこともあり,今後は緩和ケア病棟(以下,PCU)から在宅に戻っていくケースが増えていく可能性がある。今回,当院PCU を自宅退院し,在宅医療に移行したケースを調査し,現状の把握を行うとともに,自宅退院したケースの特徴を調べようと考えた。
本稿では,時間の経過と共に死別を受け入れるだけではなく,自分自身の弱さや問題に立ち向かう力を養い,喪失を受け入れ自分の人生を歩む20~30歳代の遺族の体験をご紹介する。いずれも母親と死別した20~30歳代の社会人女性で,本人たちが話したい時に相談サロンに来室するという,自主性を重んじた関わりであった。本報告は,サロンでの記録をもとに作成し,本人たちの同意を得,匿名性を確保するよう配慮した。
1.オピオイドスイッチング
ガイドラインの日本語要約
あるオピオイドを適切に増量しても鎮痛と副作用のバランスがうまくとれない時に,そのオピオイドをほかのステップ3オピオイドに変更することをオピオイドスイッチングという(訳注:オピオイドローテーションはA→B→Aのように元に戻すことを指す言葉であることから,変更はスイッチングといわれるようになってきている)。これは,薬理学上の現象である不完全交叉耐性の観点から説明されうる。
私が,初めてがんの患者さんを担当したのは,新人理学療法士(以下,PT)として働き始めた冬。終末期は未知の領域であった私は,日々病状が変化する患者さんを前に何もできず,そんな自分が悔しくて,部屋に行くことが怖く逃げ出したくなることもありました。知識が乏しかった私にできたのは,マッサージや散歩,毎日帰り際に手を握り,「明日も来るね!」と笑うこと。そんな私を患者さんはとても楽しみに待ってくださり,「毎日ありがとう」と笑ってくださったのです。転院直前,私の手を握り「楽しかった,ありがとう」と話された患者さんの手のぬくもりは,私の原点であり,もっとがんのリハビリテーション(以下,リハビリ)を勉強したいと強く思いました。
学べば学ぶほど,「当院でもがんのリハビリを行いたい! もっと知ってほしい」という気持ちが強くなり,外科や内科の病棟を対象に小さな勉強会を開かせていただいたりしていました。そんな時,のちに私を何倍にも成長していただくきっかけとなる,大きな出会いをすることになりました。
あの日,3月11日,外来で患者さんとお話していたら,突然,世界が揺れ始め,建物がきしんで不気味な音を立て,あちこちから悲鳴が聞こえる中,数十秒間,私は患者さんと一緒にただ机にしがみついていることしかできませんでした。ようやく揺れがおさまり患者さんを送り出した頃には,院内は一気に臨戦態勢で,ロビーのソファが片づけられてブルーシートが敷かれ,玄関で患者さんのトリアージが始まり…そのあと数時間,何をどうしたのか断片的にしか思い出せません。
2000年のクリスマス時期にコルカタのマザー・テレサの「死を待つ人の家」に,ボランティア研修に行った。その時の感動を若い医学生に経験してもらい,「医学」の前に存在する「医療」の原点を学んでほしいと思い,NPO 法人「風に立つライオン」を設立した。毎年医学生を10名前後派遣しており,現在までに100名を超えた。
10周年を記念して,医学生以外の医療従事者にも経験してほしいと考え,今回は,看護師と社会福祉士を派遣したので報告する。